サバイバルウエディング 最終回感想
先週9話を見て感想を垂れ流したわけですが、覗いて下さった方はありがとうございます٩( 'ω' )و
すっかり毎週欠かさず見ためちゃくちゃハマったドラマになった訳ですが、ついに最終回が終わってしまいました〜…。
最終回こそリアルタイムで鑑賞したかったのに、こんな時に限って外勤で結局間に合いませんでした…。
帰宅後すぐに録画してた最終回を見たんですけどねw
前置きは置いておいて早速感想を。
完璧な最終回だったサバ婚
ドラマの全体を通して、起承転結がしっかりとしているように思えました。
起…主人公さやかが30目前で彼氏と結婚&退職!と思いきやまさかの婚約破棄。
戻った職場で半年以内に結婚しないとクビ宣告
承…編集長や同僚の力を借りながら少しずつ婚活の道へ。
同時に元彼からの呪縛解放&成長と柏木王子との恋が一歩ずつ前進。
転…意中の柏木王子と結婚が決まり、幸せの道へ!
と思いきや、立ちはだかるインドの壁と仕事続投への欲。
結…全ての迷いはなくなり、大切な彼と大切な仲間に囲まれゴールイン!
こうして改めて見ると、見事なまでの起承転結っぷりよね…惚れ惚れしちゃう。
細かい描写が丁寧。だからこそ感情移入できる
サバ婚の魅力は、何と言っても描写の丁寧さ。
例えば、最終回で栗原美里に婚活コラムの王子が自分だと教えてもらって、改めてrizの婚活コラムを貪るように読む祐一。
時間を忘れるように読みふけってしまったからこそ、コーヒーは冷めてしまって居たし、コーヒーが冷めてしまうのを忘れるほどさやかのコラムが面白かったことを示してますよね。
実際にあの婚活コラムも公式HPで公開されていて全て読んだけれど、本当に面白かったー!!
些細なことではあるけれど、こういう些細な描写があるからこそ視聴者は物語に没頭できるようになるし、それがあったサバイバルウエディングは最高だったのだ。。
最後まで編集長がいい上司で良かった。
パワハラモラハラといった様々なハラスメントに囲まれて生きている私達。
こんな口は悪いし絡みづらいしナルシストな宇佐見編集長…。
でも仕事にかける情熱も、部下の持つ力を見抜いて仕事を与える的確っぷりを全10話の中で存分に表現されていたわけで。
上司になって欲しいランキングがあったら絶対1位だと思う。
自分の目指すべき目標と、なりたい自分のためにかける情熱と努力は編集長ならでは。
そんでもってフューチャーされた最終回の名言
大切なのはどんな選択をするかじゃ無い、自分が選択した人生を強く生きるかどうか
これですな。
この言葉にグッと力を貰ったのだけれど、私は個人的にその前のセリフのこっちが刺さった。
お前がどんな家で生まれたとか、どんな人生を送ってきたとか、男だとか女だとか、年はいくつだとかそんなことは関係ない。
最後は、自分がこれからどうあるべきか、自分によく聞いて自分で決めろ。
そうすればどんな困難にぶつかったって乗り越えられる。
逃げ恥のゆりちゃんも、年を取ることに呪いをかけていると言っていたけど、私達はやっぱりまだ年齢・性別・結婚・妊娠など様々な呪縛にかかったまま。
何が正解で何が間違いかなんて、その人のものさしでしか測れないのに、なぜか私たちはずっと何かに追われている。
それを取り払うような強い言葉と熱い心に打たれてしまったのは、きっとさやかと祐一だけではなかっただろう。
そんな編集長がなまじ中途半端にさやかと恋愛に発展しなくて良かった。
いい上司のままだったから面白かったんだと思う。
生きることに楽しみを見出せた瞬間が素敵だった
あの編集長の言葉で心が強くなった祐一とさやかがちゃんと自分たちの意思で一緒になるのは本当に何度見ても泣ける。
「行ってやるか、インド。」
と、走り出したさやかは男前でしかなかったし、事業に失敗したら無職になるかもしれないと言った祐一に
「私が養ってあげる」と腹の底から言えたさやかはやっぱり男前。
祐一も養ってもらえると思って喜んだ訳ではなく(当たり前だけど)、以前からさやかを「面白い」と評価していた祐一が
「養ってあげる」発言でやっぱりさやかって面白くていい女だな、って思ってあの満面の笑みだったに違いないのだ。。。
結婚式は涙なしでは見られない。眩しい。予想当たった。幸せ。
祐一のタキシードが眩しい。とにかく眩しい。好き。
そして祐一パパかわいい。
英字新聞に包まれたルブタンは一番綺麗なさやかにはピッタリで、そんな綺麗なさやかと父親代わりにバージンロードを歩いたあの姿。
そんでもって「世界で一番かっこいい」吉沢亮祐一が待つバージンロードの最中で相変わらずのさやかと編集長っぷりで締めくくり。
あれ以上の完璧な終わりがあるだろうか????
きっと監督さんや編集さんたち、最終回を作り終えた後スタンディングオベーションだったんじゃね???
間違いなくなんの曇りもなく100点満点のドラマ。
スペシャルでもいいからまたサバイバルウエディングのみんなに会いたいな〜〜〜。
サバイバル・ウエディング9話感想
いつもはTwitterにだらだら書き殴ってたのだけれど、最終回目前にしてあんな文字数の少ない所に感想を書き出すのは無理。文字数足んない。
ということでこっちに書き殴る事にしましたよ、っと。
そもそもサバイバルウエディングを見始めたきっかけ
純粋にキャストが好きっていうのがあって。
波瑠も伊勢谷友介も、吉沢亮に至っては「どうしよう、私この人が出てるとなんか目がそらせない…また出演作チェックしてる!」状態だったのよね。
今となっては信じられないくらい好きだけど。
話が脱線してしまった。
はじめの数話に至っては、煮え切らないさやかの性格と、元カレ底なし沼の使者和也にずっとイライラしっぱなしだったのね。
でもだんだん回を重ねるごとに編集長の言葉で見た目も中身も変わっていくさやかや、
いつもキラキラしているけど、御曹司っていうだけで自分の努力や力量とは関係なしに、生まれてからずっと色眼鏡で見られてきた、胸が締め付けられるような表情をする祐一、
ハイセンスで奇人変人だけど、天才であり努力の人である編集長、
周囲のみんなと働くことがどんどん楽しくなってるんだな、って強く伝わるようになってとにかく惹き込まれるドラマになった!
8話の浜辺キラキラI-PRIMOとは正反対の鬱9話
言葉通り、8話で早すぎる絶頂感あったからカイジばりにざわざわしてたのだけど、やっぱり9話はしんどかった〜〜〜〜!
祐一もまずプロポーズの前にちゃんと詳細は話しておくべきだったし、さやかもちゃんと疑問や今後の見通しとか、ちゃんと話せばいいのに、と。
「ここで言ったら幸せが手のひらですくい上げた水のように溢れてしまう」
みたいな表現でいい出せない葛藤を説明していたけど、夫婦になるっていう事は決していい事だけ経験して生きてはいけない訳だから。
ここで話し合ってお互いのちょうどいい着地点を見つけられるような話し合いができるくせをつけて行かないと、どんなに好きだろうが、インドだろうが日本だろうがどこに行ったって長くは続かない。絶対に。
ルブタンを編集長におねだりするさやかと、見惚れる編集長
いやルブタンのくだりは靴が大好きな私にしたらご褒美シーンだった。
編集長のいう通り、あの曲線美は本当に美しい。
いつまでも見ていられる。
そんな美しいルブタンを、まさかの編集長に履かせてもらうさやか。
きっと私なら直前に履いてた靴下の跡がむくみとしてしっかり刻まれていると思うし、何より
「足臭くないかな?」って不安になって履かせてもらえないわ。
きっとさやかっていうか波瑠は足の指の間に汗とかかかないんだろうなとか最高のシーンで邪推。
ルブタン履いてキラキラしてるさやかを見た編集長は、いつもの編集長の表情ではなかったよね〜。
でもきっと最後までいい上司なんだと思う。編集長にとって、さやかは最高に可愛くて最高な雑誌を作るには欠かせないビジネスパートナーなんだろうな、って。
サバイバル・ウエディング最終回予想
祐一ロスと義波ロスが今シーズン同時に来るもんで、今から鬱でしかないけど最終回予想しちゃう。
これが10話の公式あらすじね。
悩みに悩んだ挙句、「インドに一緒に行けない」と に告げた 。「riz」で と一緒に仕事を続けたいという自分の本心と、祐一の挑戦を支えられそうにない自分の弱さにウソがつけなくなったのだ。一方、祐一は からコラムの“王子様”が自分だと教えられ、原稿を再読。さやかの仕事への熱意と女性としての魅力を再確認した祐一は、まずは にインド行きを許してもらうと宣言するが、そんな祐一にさやかは何も言うことができない。
翌日、さやかは宇佐美と一緒に柏木コーポレーションの創立記念パーティーへ。宇佐美はさやかの結婚を追い風に、「riz」の海外展開のスポンサーになる柏木コーポレーションとのつながりを深めようと目論んでいた。そんなパーティーの席で、改めてインド行きを惣一に願い出る祐一。だが、惣一は息子の話を聞こうともしない。さやかは2人の間を取りなそうとするが、逆に結婚に対する自分の覚悟のなさを指摘され……。
最大の壁にぶち当たる2人。さやかはこのまま結婚をあきらめてしまうのか? 祐一は、独立をあきらめてしまうのか?そして、人生の岐路に立たされた愛する部下のために、宇佐美が取った驚きの行動とは!? 果たして、最後にさやかが選ぶ“幸せ”は、仕事か、結婚か…!?
さやかが選ぶ”幸せ”は、仕事か、結婚か、ってあるけど
どっちか選ばなきゃダメかな?
アラサー女は世間の荒波に揉まれメンタルマッチョになっていく、ってさやかのコラムに書いてあったけど、メンタルマッチョならメンタルマッチョらしく、結婚も!仕事も!どっちも欲張りに強欲に奪い取っちゃえばいいと思うのよ!
だから、編集長の言う海外展開の場所がインドであってほしい。
インターネットやスカイプで日本のriz組とやり取りしながら、世界を駆け回る編集長と一緒に”サバイバル”しながら仕事を続ける。
初めてで大変な祐一を支えるんじゃなく、一緒に戦う仲間である。
そんなサバイバルな夫婦が居たっていいんじゃないかな、って。
妻となったさやかが一心不乱に仕事を頑張っていたら、祐一だって俺も負けてらんない!頑張んなきゃって奮い立つと思うし、
祐一がさやかに見たどこでも生きていける強い女、って言う姿は、さやかが自分で言うほど虚構ではないと思う。
でもでもだって、な部分がさやかにはあるけど、倉庫の時だってしっかり自分の考えを伝えて居たし、それを好きになってくれた祐一は、きっとそんなさやかの中にあるバイタリティーに長けた部分を見抜いて居たんじゃないかって。
「私には無理」「インドには住めない」
そんな風にさやかは言うけど、それを最後まで編集長がリカバーしてくれて、きっと祐一と結婚すると思いたい!
そして編集長からの結婚祝いでルブタンのあのピンヒールを履いて、さやかのお父さん代わりにバージンロードを歩いてほしい。
書いてるだけで目から汁が…。
完全に理想の最終回なんだけど、そんな感じで大団円で終わって欲しいなあ。
ほんと好きだったから、このドラマ。
北海道胆振東部地震①
お久しぶりです、道産子だけど雪は嫌いなユキミツです。
平成最後の夏は怒涛の天災ラッシュでしたね…。
地震大国日本と言われて居るし、東日本大地震や熊本地震・大阪府北部地震など様々な震災をこの目で見てはいた。
でも実際に体験しては居なかった。
だから「大変だね、可哀想にね…」と言いながら気持ちばかりの義援金を差し出して、そこで少しずつ感覚がフェードアウトして居た。
自分にもいつ降りかかってもおかしくない震災を、どこか他人事に感じていたのだ。
今回の震災を経て、感じたことを忘備録として書き残しておこうと思う。
被災した事のない人にも身近に感じてもらえたら幸い。
始まりは9月6日3時7分
普段から寝るのが遅いのだが、この日は特になかなか寝付くことが出来なかった。
それが虫の知らせだったのかは今となってはわからないが、大体2時半位にようやく眠りについた。
その約30分後、飛び起きるほどのガクン!という揺れを感じた。
隣で眠っていた夫もほぼ同時に起床したが、あまりに大きすぎる揺れに私たち夫婦は何もすることが出来なかった。
二人で壁に背を付けてベットの隅で抱き合いながら揺れが収まるのを待った。
その揺れは長い時間ではなかったのだろうが、この世の終わりを感じるには充分すぎる長さに感じた。
揺れが収まった後、私たちは地震速報を見るためにテレビのあるリビングへと向かったのだが、膝がガクガクと震えて上手く歩くことが出来なくなっていた。
なんとか前に進み、震度6弱というテレビの表示を見て避難しなければならない、外にでなければと頭では分かっていても
どうやって外に出れば良いのかわからなくなる程に混乱していたのは記憶に鮮明に残っている。
程なくして停電
震度を確認して外に出て、家に戻って右往左往して、散乱した家具を見ては起こった地震を肌に感じていた。
夫婦ともに怪我等は無かったは不幸中の幸い。
札幌に住んでいる私たちよりも、震源地の厚真のすぐ近くにある夫の実家の方が被害がひどく、家の壁や窓に無数のヒビや亀裂が入ってしまったとのこと。
しかしながら親戚一同も怪我等は無かったのでホッとした。
のも束の間。
停電して辺りは真っ暗になった。
とにかく暗闇と情報が手に入らない事で恐怖だけが先行。
テレビがないならラジオを聴けばいいんだ!と閃いたはいいものの、停電しているのにコンポの電源を点けようとした時に「何をやってるんだ」と冷静になった。
結局スマホでラジオのアプリをDLし、情報収集したのだった。
ラジオから朝日が昇る時間は4時55分とアナウンスされ、夫や親戚・友人とラインで励まし合いながら朝日を待った。
コンビニもスーパーも長蛇の列
ようやく明るくなった後、夫は仕事に向かったが私はとぼとぼ歩いて近所のコンビニへ向かった。
食べ物のストックも無ければ電池や水の買い置きもなかったのだが、考えることは皆一緒。
店舗からはみ出し道路にもずらっと並ぶほど、見た事のない長蛇の列。
幸いまだカップラーメン等の保存食は残っており(それでも日頃に比べればすかすかだった)幾許かの食事は購入することが出来た。
店員さんも被災者には変わり無いのに停電で薄暗い中レジを売ってくれて、感謝で胸がいっぱいになった。
さすがセイコーマート、と道民の誇りを感じた気がした。
長文になったため明日に続きます〜〜〜〜。
ほーん出ましたか吉沢亮氏
24時間テレビが入ると
夏休み終わりじゃん〜学校行きたくね〜毎日休みならいいのに〜って
なっちゃう系キッズでしたユキミツゥ!
今日は24時間テレビ入ってる訳ね〜
昨日GIVER見た直後、義波ちゃんに萌え萌えジャンケンできる位萌え萌えが止まらなくなっていた訳なんだけれども
吉沢公式Twitterが明日テレビに出るとか呟くからさぁ〜
もうチャンネルはそのまま!この後も見てくれよな!状態だった訳じゃないですかぁ〜
もちろん見たんだけどまあ面白い位ワイプ抜かれないのね
真顔でVTR見てる人を映したら好感度下がっちゃうのかね〜???
普段ワタクシ24時間テレビ見ない勢なんですよ
なんでかっていうと昔10年近く介護の仕事してまして
その時身体・精神障害者が私の日常には毎日いた訳のでさぁ
24時間テレビに放送されないような上半身と下半身が逆方向な人とかもいるのよ
中には辛い苦しい死にたいって嘆く人もいるんだけど、それって大抵が中途で怪我や病気によって身体障害者になった人なのね
つまり健康な時代を知ってるから、不便極まりない体になった時にその現実に耐えられないのね
でも忌み事を言わないからって、生まれてからずっと障害を背負って生きてきた人が幸せかと言われるとそうじゃないよねー
けど幸せかそうじゃないかは他人がはかる事じゃないさね
自分から見た世界と相手が見えてる世界はまるで違っている訳だから、
それを「可哀想」と思うのもちゃんちゃらおかしい話だし
「可哀想でしょ?」と発信するのも逝っちゃってるゥ
そんな風にどうせ考えても終着点のない思考がぐるぐるしちゃうから見なくなったって事
頑張ってる姿や挑戦を放送するのはいい事だと思うよ
チャンスは無いよりあったほうがいいしね
まあ何が言いたいかって言うとお金は払いますから義波ちゃんに味見されたい人生だって事
とりあえず笑っておくと何かと便利。
どうもこんばんは。夕食は私にとって酒のつまみ、ユキミツです。
連日忙しい日々が続き、やっと明日は休日なのですが、生憎台風が急接近だそう。
まだ小雨だったので夫と外食してきたのですが、そこで繰り広げられたのは夕食の際にビールが飲める権利を争う死闘。
そんな絶対的の正義である夕飯のビールを掛けたアツい戦いは、やはり世界共通の武術である
じゃんけん
で勝敗を決める訳です。
じゃんけん侮る事なかれ。
疲れ切った体の五臓六腑まで染み渡る、あの黄金の液体を夫とはいえ、譲る訳には行かない。
ここで負けてしまったら帰りは運転…ノンアルコールビール…
もう開かない!そんな声が右手の人差し指と中指の股から聞こえてきそうな程かっピラいて
出してやりましたよ。目潰しにもなりかねない世界平和、ピースチョキを。
こうして死闘の末勝ち取ったビールは私の全てに染み渡り、血となり肉となりましたとさ。
ああ、寝る前のビール、吉沢亮と一緒に乾杯したいなァ〜
銀魂2実写スタンプ買いました。
おやしみなせぇ〜
この状況、ナニゴト?
はじめましてこんにちは!
誰に向ける訳でもなければ、世界中に轟かす事も出来ない言葉を持つ、世間一般なただの人、ユキミツです。
物心ついた頃から、ずっと「特別な何か」を持っている人が羨ましくて仕方ありませんでした。
その気持ちが顕著に現れたのは、高校1年生の時まださほどメジャーではなかったASIAN KUNG -FU GENERATIONのライブに行ったとき。
地元のとても小さいキャパのライブハウスだったのですが、そこに集まった数百人の人の中に、アジカンの敵は誰一人いない訳です。
皆アジカンが好きで好きで仕方のない人しかお金を出してライブには来ない訳ですからね。
自分たちの生み出した曲が誰かの胸に届いて、その歌を聴きに皆が集まって、そこで演奏できる。
才能を「持ってる人」がなんて素敵なんだろう、と心の底から羨ましくなったんですね。
もちろんアジカンの面々も物凄い努力をしてデビューしてる訳です。元サラリーマンだった人たちですし。
私はカラオケが好きなくらいで人を惹きつけるような魅力を持つ歌を歌える訳でも、女優になれるような容貌も持ち合わせていません。
日々の小さな幸せに感謝しながら、ささやかでこじんまりとした人生を送るというイメージしか、自分の人生には似合わないものでした。
そう思い込んで自分の可能性(0かもしれませんがw)に蓋をして生きていました。
ささやかでこじんまりとした人生は、とても幸せな事なんです。
私には最高の理解者である夫が居ますし、夫の親戚は皆優しく、兄弟仲は最高。
生まれてからずっと、母親には虐待まがいの躾をされ、父親は借金を作るのが趣味と言った人生だたったもので、今私が手にしている「人並みの幸せ」に枯渇していました。
私は、私がほしかった幸せを、今手にしているんです。
それなのに何故かまだ足りない、と感じてしまうのです。
人間が贅沢なのか、私がどこまでも強欲なのか。
実際には歌手には歌手なりの、俳優には俳優なりの苦労や大変さはあるのでしょうが、何故か私はそこでキラキラと輝いている人たちがずっと羨ましくて仕方ないのです。
私は俳優の吉沢亮さんが頭から爪先まで大好きなのですが、彼を見るたびいつも
「私は一生追いかける側の人間なんだろうなあ」「吉沢亮さんが追いかけたくなる人間ってどんな人なんだろうなあ」「少なくとも私のような人間ではないよなあ」
なんて思ってしまいますw
私ももう来年30になる齢でして、ガチ恋とかそんなんではないんですよ?多分。夫もいますしおすし。
本当に追いかけられる側に行きたいのであれば、もっと努力して生きる術があったはずなのですから。
それをしないでここまで生きてきたのは自分なんです。だから何者でもない自分がここにいるのは自業自得な訳です。
それなのに、欲しかった幸せが手に入っているのに、自分の人生に何故か焦りを感じてやまないのは、私がきっと何者でもないからなんです。
吉沢亮=俳優、と言った認知度は、芸能人であったりメディアに露出する人だからこそ貰える称号である事も頭では理解しているつもりです。
その称号を得る為に、一般人が分かりかねるような血の滲むような努力をしている事も、その人気を維持させる為に酷く神経を使う事も、一般人のように気楽に生きる事が出来なくなってしまう事も
わかっているつもりなのです。
しかしきっとそれは「つもり」でしかないのでしょう。
私は本当はずっと「そうなりたかった」のだと思います。
そして「そうなれなかった」自分に絶望しているのだと思います。
30歳という世間一般でいう節目の年を目前にしてきっと焦っているのだと思います。
もう人が知るような誰かにはなれないだろう、という人生への絶望と、それを抱き抱えて生きていったとしても、私が今置かれた状況的には「一般的に幸せ」なのだという甘えと。
何に焦っているのか、何に追われているのか。
わかっているようでわかっていない、まだまだ未熟なのに年ばかり取っていく。
何かに挑戦するには年齢は関係ないのに、それでも挑戦せずにビビっている。だから何者にもなれない。
ここはそんな何者かになる為に必要な行動をせず、ぬるま湯に浸かって生きてきたのに、今でも「誰かに私の言葉が届けば良い」と願ってやまないヘタレオタクの戯言がツラツラ並んでいるブログです。
きっと私のような人間は他にもたくさんいるのではないでしょうか。
羨ましいと思いながらも努力をせずにただ生きてきた、そんな人。
ほんの少しでしかありませんが、私は動いて見ることにします。
こうして文章を書き綴ることで、もし少しでも有名になれたら…
「ユキミツってー、30歳目前に始めたブログで有名になったらしいよwあのオバハンでも有名になれるなら幾つでも遅くないかw」
そんな風に勇気を持って貰える人もいるかもしれないなあ、と。
結局、私はどんな形であれ、誰かの心を「動かす側」の人間になりたいのです。
そんな強欲極まりない私欲だらけの人間の戯言が、いつか誰かに届いて「この人が書く文章ってなんか面白いよね」なんて思ってもらえると良いな、と。
だから気軽にコメントもらえると嬉しいです。
よろしくお願いしまーす!