北海道胆振東部地震①
お久しぶりです、道産子だけど雪は嫌いなユキミツです。
平成最後の夏は怒涛の天災ラッシュでしたね…。
地震大国日本と言われて居るし、東日本大地震や熊本地震・大阪府北部地震など様々な震災をこの目で見てはいた。
でも実際に体験しては居なかった。
だから「大変だね、可哀想にね…」と言いながら気持ちばかりの義援金を差し出して、そこで少しずつ感覚がフェードアウトして居た。
自分にもいつ降りかかってもおかしくない震災を、どこか他人事に感じていたのだ。
今回の震災を経て、感じたことを忘備録として書き残しておこうと思う。
被災した事のない人にも身近に感じてもらえたら幸い。
始まりは9月6日3時7分
普段から寝るのが遅いのだが、この日は特になかなか寝付くことが出来なかった。
それが虫の知らせだったのかは今となってはわからないが、大体2時半位にようやく眠りについた。
その約30分後、飛び起きるほどのガクン!という揺れを感じた。
隣で眠っていた夫もほぼ同時に起床したが、あまりに大きすぎる揺れに私たち夫婦は何もすることが出来なかった。
二人で壁に背を付けてベットの隅で抱き合いながら揺れが収まるのを待った。
その揺れは長い時間ではなかったのだろうが、この世の終わりを感じるには充分すぎる長さに感じた。
揺れが収まった後、私たちは地震速報を見るためにテレビのあるリビングへと向かったのだが、膝がガクガクと震えて上手く歩くことが出来なくなっていた。
なんとか前に進み、震度6弱というテレビの表示を見て避難しなければならない、外にでなければと頭では分かっていても
どうやって外に出れば良いのかわからなくなる程に混乱していたのは記憶に鮮明に残っている。
程なくして停電
震度を確認して外に出て、家に戻って右往左往して、散乱した家具を見ては起こった地震を肌に感じていた。
夫婦ともに怪我等は無かったは不幸中の幸い。
札幌に住んでいる私たちよりも、震源地の厚真のすぐ近くにある夫の実家の方が被害がひどく、家の壁や窓に無数のヒビや亀裂が入ってしまったとのこと。
しかしながら親戚一同も怪我等は無かったのでホッとした。
のも束の間。
停電して辺りは真っ暗になった。
とにかく暗闇と情報が手に入らない事で恐怖だけが先行。
テレビがないならラジオを聴けばいいんだ!と閃いたはいいものの、停電しているのにコンポの電源を点けようとした時に「何をやってるんだ」と冷静になった。
結局スマホでラジオのアプリをDLし、情報収集したのだった。
ラジオから朝日が昇る時間は4時55分とアナウンスされ、夫や親戚・友人とラインで励まし合いながら朝日を待った。
コンビニもスーパーも長蛇の列
ようやく明るくなった後、夫は仕事に向かったが私はとぼとぼ歩いて近所のコンビニへ向かった。
食べ物のストックも無ければ電池や水の買い置きもなかったのだが、考えることは皆一緒。
店舗からはみ出し道路にもずらっと並ぶほど、見た事のない長蛇の列。
幸いまだカップラーメン等の保存食は残っており(それでも日頃に比べればすかすかだった)幾許かの食事は購入することが出来た。
店員さんも被災者には変わり無いのに停電で薄暗い中レジを売ってくれて、感謝で胸がいっぱいになった。
さすがセイコーマート、と道民の誇りを感じた気がした。
長文になったため明日に続きます〜〜〜〜。